学校が始まった!
2017年3月17日
学校に行くことを強制されるようになった。「学制公布」

明治5年(1872)、学制が公布され、日本でも学校制度が始まった。
「必ず邑(むら)に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん」の掛け声の下、学校に通うことが奨励された。義務教育の始まりである。
最初は小学校までが義務教育であった。
江戸時代は、庶民は寺子屋、武士は藩校、といった教育機関に通っていたが、強制ではなかったし、日本国共通のものでもなかった。
学校に行かない自由があった。
多少の地域性はあるが、日本各地で共通仕様の学校が建てられ、ほぼ共通の教科書、教育課程で、同一年齢の子供が学校の建物に集められ、教育を受けた。小学校に行かないことは、法律違反であった。
これは現在も同様である。現在は学校に行かないことを、「就学義務違反」と言っている。
義務教育は、compulsory education,の翻訳であるが、最初は「強制教育」と訳されていた。国家によって学校に行くことが強制されることになった。
学校に行くのは税金を払うのと同じ。学校反対の一揆が起こった

昔は子供は大切な労働力であった。特に農家が多かったから、余計そうであった。
昼間学校に子供を通わせることは、貴重な労働力を奪われることになり、その上お金がかかる。
授業料は有償だったから、農民にとって学校に子供を行かせなくてはならないのはある種の増税であった。
簡単に言うと、学校は身体で払う税金=労役であった。
だから最初は数パーセントしか小学校に行かない地域もあったし、地域によっては学制(学校)反対一揆まで起こった。
明治5年は、徴兵令も公布された。
「富国強兵」の旗の下、国民皆兵となった。男子だけだが。徴兵は、血で払う税金=血税、と呼ばれ、血税反対一揆が頻発した。
「徴兵令反対、学校入費反対」と叫んでいた。
学校は工場労働の練習場である

富国になるためには、産業革命をしなくてはならない。
つまり工場を作って近代工業を起こさなくてはならない。
そのためには工場で働く労働者が大量に必要となる。
その労働者は字が読めなくてはならない(江戸時代の日本は識字率が高かった。50%を超えていた。ただひらがなだけ読み書きできるという人も含めてである)。
最低限の科学技術の知識も必要となる。みんな農民では困るのだ。そのために学校、小学校が必要となる。
みんなが、均一で、平準な近代的労働者となるための教育。
例えば、時間割。みな同じ時間に集合し、一斉授業(標準語で)で同じことを習い、時間が来たら帰る。時間で管理されて働くという習慣は、学校で体得される。集団で活動することもだ。
近代的労働は、時間で管理される。
江戸時代は、太陽が昇ったら、田畑に行き、沈んだら家に帰る生活だった。
学校では勉強、工場では労働、という違いだけで、本質は同じである。
学校はお金を払う労働(準備)、工場はお金がもらえる労働、という違いがあるだけである。
学校は軍隊の錬成場である

工場にとって学校教育が必要だっただけではない。軍隊にとっても必要だった。時間で動くことも、集団で動くことも。
そして、標準語を理解することも。訛りがきついと指揮伝達に支障をきたすからである。学制と徴兵令の公布が同じ時期というのも符合している。
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著者:桃井 隆良 日本の教育の改革を志し、内閣総理大臣から「教育特区」として認定された茨城県大子町にルネサンス高等学校を2006年開校。その運営法人となるルネサンス・アカデミーの代表を務め、2011年にはルネサンス豊田高等学校、2014年にはルネサンス大阪高等学校を開校。現在は「新しい学校の会」の理事長も務める。 |
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