通信制高校ルネサンス高等学校

タバッコ峠...なんとも不思議な名前(その3)

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タバッコ峠...なんとも不思議な名前(その3)


今回は、栃原金山跡への道草です。

...実は、ルネサンス高校が開校した2006年にも、スタッフたちで出かけたところです。懐かしーっ!

栃原金山は、約600年前発見され江戸時代に佐竹藩の隠れ金山として採掘されていましたが、

その後長らく放棄され、昭和62年に東洋金属鉱業が鉱業権を得て金山として再開したものの、

その後、金相場の低迷により再び採掘中止になり、

1990年代には観光金山も始められ、一時は「砂金探し」を売り物に繁盛したようですが、

今は再開のめどさえたたない状態のようです。  ...悲しい。

詳しくは「鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊」というwebサイトの「栃原金山」のページ参照して下さい。

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また、「栃原金山」の坑道入り口にある「栃原金山史」と書かれた案内板 ↓ には、遠く奈良天平時代には発見されていて、

遣唐使派遣を資金面で支えたことなども記されています。(2006年撮影の写真)

...この地域には「盛金」「西金」「金山」「金砂」「上金沢・下金沢」など「金」のつく地名も少なくなく、

古代から産出していたことを示してくれているようです。

先に示しました「鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊」というwebサイトにも

大子町や隣の常陸大宮市で、金が撮られたことが記されています。↓

八溝山(茨城県久慈郡大子町)
小久慈金山(茨城県久慈郡大子町)
日永金山 輝安鉱(茨城県久慈郡大子町藪沢)
南部金山 輝安鉱(茨城県久慈郡大子町下津原)
仏沢金山(茨城県久慈郡大子町仏沢)
塩沢金山(茨城県久慈郡大子町塩沢)
大沢金山(茨城県久慈郡大子町大沢)
発祥金山(茨城県久慈郡大子町大沢)
久隆金山(茨城県常陸大宮市久隆)
入山金山「仮称」(茨城県常陸大宮市盛金)

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では早速、その栄枯盛衰の跡を探訪してまいります。

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青い空に赤く錆びたゲートが、なんとも寂しいです。

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岩を削った切通し、下も岩です。

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道が崩れています!!

辿りつけるのか、そしてまた戻れるのか、

...心細くなってきました。

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なかなかたどり着きません。

ビビリながら進むこと、約1.7km

やっと到着。

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廃墟化が進んでいます。

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「無念の碑」という石碑もありました。↓

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碑文の後段には、

「政府の方針に依り金鉱業整備の指令を受け国策に順応して茲に閉山の止むなきに至る 金田氏及関係者が前後15年の長きに亘り産金報国に全力を傾倒し苦辛経営の経過は真に筆舌の能く盡す所に非ず」

などと、昭和18年、太平洋戦争が激しくなり、国策「金山整備令」により閉鎖を余儀なくされた無念の思いが刻まれているとのことです。

...まさに、夢の跡。

ここから、さらに進むと坑道入り口があるのですが、道が悪くなっているので、今回はここで断念。

以下は2006年の坑道入り口等の写真です。

060614栃原金山視察 006.jpg

060614栃原金山視察 005.jpg

覗くとこんな感じ。

...今は水没しているとか。

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砂金採り場 ↓

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060614栃原金山視察 035.jpg

↑ 12年前にはまだ残っていた「砂金さがし」を誘う案内看板。これももう当然なくなってました。

...

本ルートに戻ります。いよいよ次回は「タバッコ峠」へ。

続くです。

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