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大切にしていた思いをつないでいく / 犬塚名誉校長

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大切にしていた思いをつないでいく / 犬塚名誉校長


 「僕は『火垂るの墓(ほたるのはか)』で,母を空襲で失った14歳の兄と4歳の妹の,終戦直後の焼野原の焼け跡,また落ちのびた先での明け暮れた2カ月ほどを,30枚の小説にまとめた。餓死した妹のことを書いた。記憶にもとづく。(中略)

 当時,父親が行方不明,母は全身に及ぶ火傷,祖母と僕と,小説では4歳,本当は1歳4カ月の妹との逃避行では,たちまち飢えにさいなまれ,キュウリ,トマト,ジャガイモなど,畑を荒らしてしのぎをつけ得る僕はまだしも,妹は日々衰弱して,小説ではいろいろと兄に向ってしゃべってはいるが,実際はずっと幼いから,夜泣いているうちうちはまだよかったけど,やがてその力も失せた。泣いている時,うるさくて眠れなと,大人に叱られた。夜更け,妹を背負い外へ出た。せめてものなぐさめに,蛍を数匹,蚊帳の中に放ったことは本当,死んだ蛍の亡骸を土に埋め,墓を作ったのも,そのまま。だが,食い物については小説の兄ほどやさしくなかった」(野坂昭如「僕の忘れてはイケナイ物語り」)

 野坂さんの12歳年下のぼくには,飢えの思い出はない。戦争による悲惨さも記憶にない。田舎にいたこともあるが,幼かったからでしょう。

 10日ほど前,彼が亡くなったのを知った日,無性にアニメ『火垂るの墓』(ジブリ)が観たくなりました。娘や孫が観ているのをのぞいたことはありますが,ちゃんとみたことはありません。牛山先生にその話をしたら,「僕は悲しくなるから見られない」と。その夜,一人でアニメを見ながら,いろいろなことを思い出しました。

             *

 30歳少し前です。このまま教師をつづけていたら自分がなくなりそうで不安になったぼくは,教師を辞めてしまいました。ところが,生徒のいないさみしさに襲われ,数か月後には採用試験を受けて再び中学の教師にもどりました。そのころ,ぼくがあこがれていた一人が野坂昭如さんでした。その自由さ,素直さ,強さに...自分もあんなふうに生きたいと思いました。

 そのころ,理科の授業を担当していた中学3年生に向けて書いていたガリ版刷りの授業通信「ニュートン道場」(1977年)に,野坂さんがCMでやっていた「ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか,ニ・ニ・ニーチェかサルトルか,みんな悩んで大きくなったぁ!」を,サングラスの顔のイラスト入りで書いたのを思い出しました。紙は茶色になっているその記録を,懐かしく手にとって開くと,そこには「友人は,苦しみを共にすることによって生まれるものではなく,楽しみを共にすることで生まれるものである」というニーチェの言葉も紹介してありました。もしかしたら,「いつも笑顔で元気です」の原点はここにあるのかも知れません。多感な中学生に,生き方の一つを知らせたかったのです。

  12月も残り少なくなりました。今年最後のスクーリングの授業は,大子校での成人の人たちでした。「野坂昭如に憧れていた」という話をして「サクマ」のドロップの缶を見せたら,すぐに「『火垂るの墓』に出てきますよね」と,さすが成人の会です。「何色が出て来るかな?」といいながら,一人一人の席を回ってドロップをプレゼントしました。

 明日は,豊田駅前キャンパスで,通学生との今年最後の授業です。今年も「ルネ高」のみなさんに元気をいただきました。寒さが本格的になりました。心はいつも暖かくしていてください。

2015.12.20  

 写真は,「虹ビーズ」でつくった虹と「サクマ」のドロップ缶です。
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