通信制高校ルネサンス高等学校

校庭の鈴懸けの木

ルネサンス高等学校

校庭の鈴懸けの木


今年の5月に移転したこのルネ高町付新校舎は、前年まで黒沢小学校として現役だった施設です。

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黒沢小学校は、明治七 (1874) 年に町附小学校として開校し、

以来146年間、多くの地域の子どもたちを育んできた歴史ある学校です。

ですから、地域の方々にとっては、ここは「わが母校」の思いも強いでしょう。

大切に活用させて頂かねばならないと思います。

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...「校庭の片隅に鈴懸けの大木が二本、天に向かって聳え立っている。私が小学生であった半世紀前と今も変わらぬ姿である。」

「」内の文章は、郷土史研究家の飯村尋道先生の著わされた

『故郷六十年』(2009) の中の「校庭の鈴懸けの木」からの引用です。

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先生は、ここの卒業生で、この母校で教鞭も執られた方です。

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ちなみに、鈴懸けの木とはプラタナスのことで、古代ギリシャ時代から並木に使われ、

現代でも広範かつ大量に街路樹として植栽されていて

「世界四大並木樹種」の一つに数えられるものです。

また、鈴をぶら下げたような実がなることが、「鈴懸け」の由来です。

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...先程、お電話をして先生のご許可を得ましたので、

引用を交えながら、この鈴懸けの木についてもう少し続けさせて頂きます。

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「...さて母校の鈴懸けの木は実に見事な大木で、気品に満ちた白い木肌の幹といい盤石な根針といい、貴婦人の風格がある。」

と続けられいます。まさにです。

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そして、この文の中で、

この鈴懸けの木は、旧黒沢小学校が町付(尋常高等)小学校だった時代に、松浦斤也先生という方が、

「昭和五年五月十七日、晴、二十二度。第五時、高三児童(5~6人)を督して自宅の井戸端側にあって作物の陰をするプラタナスを掘取って、校庭に植えた。」

と松浦先生がご自身の日記に残していたことを、

飯村先生が同級生やそのご家族、先生ご本人のお父様の協力を得て経緯や詳細を突き止めることができたことを、感慨深く語られています。

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...植樹は今から90年前!

確かに校庭のフェンスのところにはそれを示す木碑があります。

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そして、今では刻まれた文字はかろうじて読めるかどうかになってしまった石碑も校庭内側に。

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「教育勅語御下賜四十年記念 昭和五年十月三十日」と刻まれているとのことです。

歴史を感じます。

...

この校庭に運んで植えた頃以降の様子は、飯村先生のお父様が次のように語られているようです。

「苗は二メートルぐらいで湯呑よりも細く四センチぐらいだった。根っこを土につつんで持って来た。

どういう訳だが左が太ってデガクなった。」

左?

(「植えた場所は現在地より東側で運動場を広げるために今の場所に移動した」

とも飯村先生が書かれていますので、その時に左右の木の位置関係が逆になり、

今に至っているのかもしれません。)

ともあれ、それが今では...

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...これまで何人の子供たち、何世代の子供たちの姿を見てきたのでしょう。

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飯村先生は続けます。

「この鈴懸けの大木、(中略)その木陰の下で今年もまた友と語り友と戯れる子供たちの姿を見守ってくれるに違いない。」と。

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今は校舎はルネサンス高校に引き継がれましたが、鈴懸けの木は変わらぬ眼差しでここに集う生徒たちを見守り続けてくれています。

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ルネ高の皆さん、

スクーリングにいらしたときは、

是非この白い大木に挨拶に行って、触れてみてくださいね。

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