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ルネサンス高等学校
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2021-06-02
武茂城跡(静神社) 那珂川町馬頭郷土資料館
~メディア補講のための取材の旅の記録から episode編
♪ となりま~ちにあ~ると思いだすっ。 (^^♪
ということで
日本で初めて金の採れたところ武茂川・健武を通って出かける用事があったので、また行ってみた。
今回は天気もいいということで、まずは近くにある武茂城跡に。詳しくは次のサイトへ。
①武茂城
②武茂城
...常陸国(今の茨城県)北部を戦国時代に支配した佐竹氏の支配下にあったこともあるお城です。
佐竹氏は、1600年に起きた関ヶ原の戦いの際に、東西両軍に対し明確な態度を示さなかったため,徳川家康の命により出羽国秋田へ転封となり、
武茂城も1602年に廃城となりました。
現在は、静神社だけが残っているとのこと。
早速登ってみます。
ひーっ! それにしても急で長い階段。155段あるそうです。
まだ半分も登れていない。 息が切れるぅ~! 足が上がらない~っ。
右にあった「女坂」↓ を上ればよかった。
やっとのことで静神社に。
狛犬くんもいい感じ。
この神社の裏にあったのが武茂城です。
今は大きな杉の木が何本も立っていて、案内図があるから、ここが昔は二の丸だったとか三の丸だったとかわかる状態となっています。
↑ の案内板に、水戸光圀(水戸黄門様)の名前が出てきています。
この武茂地方は、江戸時代は水戸藩の領地だったのです。(明治時代になって1871年の廃藩置県によって、栃木県に属することになりました。)
そして、元禄7年(1694)の徳川光圀による寺社改革によって社名を「八幡宮」から「静神社」へと改称したようです。
詳しくは次のサイトさんを参照下さい。
①静神社
③静神社
城跡を後にして、すぐ近くの那珂川町馬頭郷土資料館へ。
学芸員からは、健武付近から上流の方が、砂金が採れるとの情報をゲット!!
♪ 別にき~んを求めてないけどっ (^^♪
以上の3冊もゲットして、
いざ「ゆりがねの地」健武へ。
♪ 別にき~んを求めてないけどっ (^^♪
健武山神社の左脇には、前回来た時には見落とした大きな石碑がありました。
武茂川へ。
♪ 別にき~んを求めてないけどっ (^^♪ ...くどいか。(汗)
武茂川のほとりから健武山神社を望む。
↑ 上流を望む。
↑ 下流を望む。
川縁へ。
♪ 別にき~んを求めてないけどっ (^^♪
あっという間に、ゲットだぜ!!
でも、ちっちゃっ!
...ちょっと砂を動かしてみただけで出てきたということは...
また来ちゃおっかなぁ~ ww
♪ その輝きのせいだよ~ (^^♪


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