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超有名なお方なのに... 小さな小さな鎌足神社
ルネサンス高等学校
超有名なお方なのに... 小さな小さな鎌足神社
2021-09-22
~メディア補講のための取材の旅の記録から ③
中臣鎌足という名前を聞いたことがない人はいらっしゃらないかと思います。
そうです。
中大兄皇子ともに蘇我入鹿を宮中(飛鳥板葺宮)にて暗殺し蘇我氏を滅ぼした
645年のクーデター乙巳(いっし)の変に始まる大化の改新に功績があり、
その後も皇子(のち天智天皇)の腹心として活躍し、
死に際して藤原の姓を賜り、
摂関政治で有名な藤原氏繁栄の礎を築いた人でしたね。
(※なぜ鎌足が蘇我氏滅亡に大きく関わったかについてはこちらが面白かったです。
→ 「冷遇されていた藤原氏」)
彼を祀(まつ)る神社が、鹿島アントラーズのホームグラウンドの近くにあります。
奈良の都で活躍した人物の生まれが茨城? 「マジ?」って思いません?
それがこちらです。
小さっ!
あまりに小さいので、少しずつ近づいていきます。ww
鹿嶋市教育委員会による由緒看板。ご一読ください。
鎌足の出生地については
『藤氏家伝』によると、ここに書かれているように大和国高市郡藤原(奈良県橿原市)とする説があります。
また、ググると
常陸国鹿島(茨城県鹿嶋市)とする説については、
ここにある『新編常陸国誌』のほかに、歴史書ではないのですが、
平安時代後期の歴史物語の『大鏡』にもあります。
さらにさらに茨城の民話によると、
中臣家は代々鹿島神宮に仕える神官であった。
だから鎌足も鹿島の地で生まれたと。
詳しくはこちら →「鎌足の出生地」
ここで鹿島神宮について少々。
鹿島神宮の御祭神である「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」は、
神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、
大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身されました。
鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼり、
神武天皇が東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、
武甕槌大神の「韴霊剣」の神威により救われました。
この神恩に感謝された神武天皇は即位の年の「皇紀元年」(西暦前660年)に大神をこの地に勅祭された
と伝えられています。
これが、鹿島神宮の由緒です。
...初めて神社の格式が決まった延喜式の平安時代から、伊勢神宮(三重県)のほかに神宮と呼ばれたのは、
鹿島神宮と香取神宮(千葉県)だけと聞けば、いかに鹿島神宮の格式が高かったことも理解できるでしょう。
そんな鹿島神宮の神官職を、中臣家が担っていたというのです。
...ここで、鎌足に始まる藤原氏に話を戻しますと、
藤原氏・中臣氏の氏神を祭るのは、春日大社です。
春日大社は、奈良県奈良市春日野町にある神社で「下がり藤」。全国に約1,000社ある春日神社の総本社です。
ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されています。
奈良時代の神護景雲2年(768年)に創建されましたが、
創建の際に、茨城県にある鹿島神宮の祭神の武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。
だから、春日大社や奈良公園には、鹿が大切に育てられているとのことです。
※ 鎌足の子の不比等が、奈良・平城京に遷都された和銅3年(710年)に建てたという説などもあるようです。
鎌足さんと鹿島神宮と奈良公園の鹿となんとかつながりましたので、
鹿嶋の地が、確かに鎌足さん出生の地であるというところにまではたどり着きませんでしたが、
歴史ロマンとしておきましょう。


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