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ルネ高のある地域の歴史探訪会がありましたので... その1
ルネサンス高等学校
ルネ高のある地域の歴史探訪会がありましたので... その1
2023-11-07
去る11月4日。ルネサンス高校のある黒沢地区で、地元の歴史探訪会が開催されましたので、
お邪魔させていただきました。
ルネサンス高校の住所は、茨城県久慈郡大子町町付(まちつき)という所なのですが、町付以北
の現在の茨城県に属する地域は、1955年にそれ以南のいくつかの村々と統合されて大子町となる
前は、黒沢村という所でした。
そのような経緯から、今でも町付以北は黒沢地区としてまとまりのある地域となっているだけ
ではなく、かつては現在の大子町にあたる地域の中心的な所でもあったようです。
まずは、そのような黒沢地域を含めた大子地方の特殊性についてお話しします。
今でこそルネサンス高校のあるこの地域は、今は関東地方に属しますが、古代(大化の改新
以前の国造の時代)から室町時代までは、下の左側の地図...その上部の「白河郡」というの表記
が示す通り、陸奥国となっています。つまり、奥州(東北地方)に属していました。
しかし、戦国時代に入ると、それまで白河結城氏の所領となっていたこの地を、常陸国の
佐竹氏が奪い、以降、関東地方に属することとなって現在に至っているのです。
(下の右側の地図)
安土桃山時代末期に、関ヶ原の戦い(1600年)に徳川家康が勝利を収めると、大子地方を
治めていた佐竹氏は、関ケ原の戦いの際に東軍(家康側)でありながら、豊臣秀吉政権下の
恩顧から義理を通して西軍(石田三成側)に与したために秋田にお国替となりました。
(この時に、佐竹のお殿様は常陸国の美女をたいへんたくさん連れていかれたのが秋田美人
の由来とか。ww )
そして、ルネ高のあるこの地は代わって水戸徳川家所領となりました。
(下の地図の紫色の部分が水戸藩所領)
そして、そのまま明治時代となり、廃藩置県を経て、茨城県に属することとなりました。
ルネ高のあるこの地方は、なんと金も採れ、交易上も重要な地であったため、以上のような変遷を
辿りましたので、歴史的な遺産に溢れているのです。
★金レポートその1 ☞ 栃原金山跡へ
★金レポートその2 ☞ 日本で初めて金の採れたところ(武茂川)へ
★金レポートその3 ☞ ほんとは金に目が眩んで再びww
このような歴史的に特異なところともいえる黒沢地域で、コロナで中断させられていた「歴史探訪会」
が復活開催されたのです。
「もう行くっきゃない!! 」
ということで、ご一緒させていただきました。
講師は飯邨尋道先生。上の写真でマイクを持たれている方です。
(ちょっと小さくてすみません。その2でアップ画像にします。)
先生の代表的な著書には次のようなものがあります。
・『故郷六十年...八溝山麓の山里を歩いて』
・『棚倉城より水戸城へ、古道を歩く』
飯村先生の今回の講義資料はこちらの中に☞ 平成5年度黒沢地区地元の歴史探訪会 20231104.pdf
それでは、さぁ出発です!!
☞ ルネ高のある地域の歴史探訪会がありましたので... その2 に続きます。


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